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2016-05-31

死は師なり

おはようございます、福岡市中央区大手門の整体&気学サロン「OFFTOOON(オフトン)」の享佑(きょうすけ)です。
実は今、豊田の実家にいます。
先日、父が亡くなったためです。

金曜日に通夜、土曜日に葬式。
日曜日と月曜日は様々な手続きを済まし、数年ぶりに祖父にも会いに行きました。
そして、今日はせっかく時間が空いたので、こういうときしか出来ないことをしようと思います。

父が亡くなり、様々な手続きなどを進める過程で、今まで知らなかった父のことを知ることになりました。
一人の人間の歴史は、中学で習う歴史の教科書よりも、よっぽど厚みを持っている。
質の良し悪しは別として、父についてもっと知っておかなければならないな、と思いました。

ずっと入院していた病院を退去するにあたって挨拶に行き、父の初診が実に37年前だったことを知った。
僕が生まれるよりも、ずっと前から入院していた。
僕はちょうど、父の半分の年齢だから、父は人生の半分以上を精神を病んだ状態で過ごしたことになる。

僕は今、最高に幸せだ。
子供が育ってきて、仕事も楽しくなってきて。
優しく、たくましい妻にも恵まれている。
30代というのは、そういう時代なのだと思う。

そういう時代をずっと病院で過ごし、彼は幸せだったのか?
それは、僕が断じるものではないけど、考えざるを得ない。
今、僕は人生の「使命」を感じながら生きている。
30代から40代って、きっとそういう時代。
では、父は使命を感じることは出来たのだろうか?
それも、よく分からないまま、父は逝ってしまった。

27歳になり、父と再会してから、ずっと父から聞かされていた武勇伝。
精神を病んだ患者にありがちな幻覚や幻聴の類だと思っていた。
でも、その多くは事実だったことを、母から聞いた。

父は何回も起業して、何回も失敗したらしい。
半分冗談だと聞いていたけど、これも事実だった。
ところどころ、誇張や自己弁護は入っていたけど、噓ではなかった。

通夜、葬式では、人生で数回しか会ったことのない親戚のおじさん、おばさんに会った。
皆、口を揃えて、

「この子は可哀想だった」

と言った。
でも、何が可哀想だったのだろうか?
精神を病んだことだろうか?
それもよく分からない。

僕は未だに彼ら、彼女らにあまり好意を持てない。
でも、確かに彼らは父のことを大切に思ってたんだということは分かった。
その愛情を、どのように父に届けていたか?は分からないけど、やっぱり姉弟だったんだ、ということは分かった。

祖父の見舞いに行ったとき、

「しゅうじ(=父)くんはいくつだった?」

と聞かれた。
自分の娘と別れた男のことを「くん」と呼ぶ姿に、今まで知らなかった父の横顔を見た気がした。
母方の親戚も葬儀に駆けつけてくれた。
父との関係なんて、考えたこともなかったけど、そこには僕の知らなかった人間関係があった。

「僕にはお父さんがいない」

ずっとそう思っていた。
生物学上の父はいるけど、幼いながらに母の前で「お父さん」と呼ぶのは憚られる気がしていた。
母を裏切る気がしていた。
僕が生まれたときから、病院の入退院を繰り返してきた父のことは、父と実感できずに、「たまに家に来るおじさん」くらいにしか思っていなかった。

でも、父の死を通して、初めて父の本当の顔を見た気がする。
決して良い父でも、良い男でもない。
それは変わらないけど、少しずつ、彫刻刀で削るように、父の輪郭が見えて来た気がした。

父と母の馴れ初めも聞いた。
そこには、確かに、普通の若い男女のカップルがいた。
決して順風満帆の恋愛だったとは思わない。
でも、普通の恋愛をしていたのだと思う。
確かに、血の通った、生き生きとした恋愛だったのだと思う。

「死は師なり」

父の死は、本当に色々なことを考えさせてくれた。
僕が憎みながら、悲しみをこらえながら、我慢し続けてきた「父の愛」。
幼いから分かっていなかっただけだった。
確かに、父はほとんど直接的に愛を与えることはなかった。
でも、その代わり、僕や弟を支え続けてくれた兄の愛があったことに気づいた。

つまり、父の死は、父自身の姿を見せてくれると同時に、母や兄の姿もはっきりと見せてくれた。
父の苦悩、母と兄の苦悩。
そして、その苦悩を乗り越えて、今の生活を作っていった母と兄の絶え間ない努力。
僕の今まで知らなかった、母と兄の生き生き(積極的とかそういう意味じゃない)とした「生」というものに、尊敬以外の感情は起こり得ない。

「死は支なり」

だからこそ、僕は生きていける。
父の死が教えてくれた、今まで気づけなかった愛情に支えられて、僕はまた今日も生きている。
人は生まれ、死ぬ。
その当たり前と当たり前の間に起こりうる、数々の奇跡に気づくことが出来た気がする。

生と死は陰陽の関係。
死ななければ、生はない。
そして、男と女も陰陽。
それが交わったときに、新しい生命が生まれるのだけど、陰陽を交わらせる生物というのは、必ず「死」という結果を出す。
ベニクラゲは、この説に反して、有性生殖をしたあとに若返るらしいけど。
性質の違うものが交わるのは、進化のためであるのは間違いないのだろうけど、それをすると「死」ができるというのは皮肉なのかもしれない。

自分の幹細胞で、自分を更新しつづける「ヒドラ」は永久の生命を持つらしいとアメリカの大学とドイツの研究所の共同研究で明らかになったらしい。
でも、永久の生命と、尊い生命は違う気がする。
「老いない=最良の選択」ではないように思う。

人間という生物が有性生殖を選んだのは、僕は正しい判断だったと思う。
ヒドラのように「自分自身で若返らせて、生命を継続する」よりも、「違いを受け入れて、新鮮な生命の輝き」を生み出す方が僕は好きだ。
自分と違ったものを取り込み、新しいものを生み出すという行為は、尊い。

だから、父の葬儀のときに、何の根拠もなく感じたんだけど。
新しい生命を授かる気がするんです。
ずっと子供が欲しいと願っても、叶わなかった願いが、近いうちに叶う気がする。
そして、妻と同じ年齢のお義姉さんに対しても、そんな気がした。
繰り返しますが、何の根拠もありませんが。

そんな想いを抱かせてくれた父の「死」というのは、優しさに包まれている気がした。
死は怖いものでも、忌み嫌うものでもなく、やはり尊い。
その尊いものを前提としていない風に思える、マンションや団地は好きになれない。
狭いエレベーターしかなかったら、どうやって棺を運び出すのか?
ほとんどのマンションは、「家で死ぬ」ことを想定せずに作られているように思える。
父の死により、その優しさを感じた僕は、より一層「家で死にたい」と思うようになった。

と、まぁ、色々と考えてしまったので、断片的になりますけど、書き留めておきました。
父の死をきっかけに、なんだか、人生がまた動いていくような気がします。
続きは、また勉強会でお話したいと思います。
書ききれない程の感情が、今、僕の中にある。
でも、悲しさは全くない。
なんとも表現できない「清々しさ」をくれた父の死でした。

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