あけましておめでとうございます。
かなり久しぶりの投稿になりますが、享佑です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、いよいよ2022年が幕開け。
気学を生きる僕らにとって、本当の意味での年明けは2/4の立春となりますが、それでも世間の雰囲気がガラッと変わる正月はやはり特別な思いをもって迎えるものです。
今年は「壬・寅・五黄土星」の一年で、一体どのような年になろうかと思案を巡らせておるところです。
もちろん、詳しくは「一年の流れをつかむセミナー」にてお伝えしてまいります。
1/8(土)岡山
1/9(日)鹿児島
1/16(日)小倉
1/23(日)熊本
と各地を巡らせていただきます。
とりわけ新しい挑戦となる岡山でのセミナーは重要なものとなりますから、今からすでにかなりの気合いが漲っているのを自分でも感じております。
もしかしたら、ただ緊張してるだけなのかもだけど。
オフトンはり灸院は1/3までお休みを頂いております(ただし、鑑定・通販は1/3から始動します)。
休みと言っても、東海のスタッフさんたちへの挨拶回りがあり、純粋な休みとは言えなかったのですが。
2022年、テナントビルの都合で閉店が決まっている店があり。
年越しの挨拶をするのも最後かと思うと、なんとも言えない想いを抱えて回ることになりました。
いつまでも一緒に働けると思っていたけれど。
現実には、こうしていつでもタイムリミットは設定されているものなのですね。
これはあらゆる人間関係でも同様のことです。
店舗を回った後、温泉宿で一泊して福岡に戻りました。
この旅路でしみじみと考えさせられたのが
「人はどこまでも孤独な存在である」
ということ。
家族ですら、いつか別れねばならず、そして別れは突然やってくる。
血を分けた子供でさえ、完全に理解など出来ず、思いを共有出来ることは少ない。
壬は「巫」であります。
祈ることです。
どこまでも孤独な存在であるにも関わらず、誰かの幸せを祈らずにはいられないのが人間なのかも知れません。
寅は「演(の)べる」であって、願いを言葉にすること。
周囲に対して、どんな祈りを持っているのかをきちんと言葉にすることを天地の気は我々に求めているのかも知れません。
そして五黄土星は「こころ」である。
生命の持つ意志というか、人間で言えばこころがそれに当たるのでしょう。
その「こころ」の方向性というのを明確にして祈ることです。
自身のこころに素直に生きていられるだろうか。
人間の心の奥の奥の奥には「無」があって、そこにゆらぎがあると老子は言います。
そして、そのゆらぎからあらゆる現象が生じてくる。
だから、人間のこころの動きには理由なんてないんだと最近思います。
だいたい僕が九星気学に魅せられたのだって、整体や鍼灸に魅せられたのだって、理由なんてない。
理由なんてないんだけれど、「理由はない」だけではあまりにもあてにならずに心細いから、何とか自分で理由を探そうとしているだけなんだと思う。
女性はよく恋人に「私のどこが好き?」とか聴くけれど(僕だけですか、これまで聴かれてきたの?)、明確な「どこ」なんて自分でも捉えられない。
見ようと思っても見えないこころの暗闇から突如として湧き上がった「ゆらぎ」の為せるわざであるとしか言いようがないですね。
2022年は「自分のこころのままに」生きることが大切なのだと思っています。
自分のこころに素直に生きるというのは、思いのほか難しいものです。
福岡に戻った僕は、家族が皆、紅白歌合戦を見ている間に、年内にどうしても処理をしておきたかったことを片付けに店に行きました。
そして、その後はジムへGo!
かなり体重は増えてしまっていたのですが、おそらく家族の不満はもっと膨らんだことでしょう。
だけど僕は昔から紅白歌合戦があまり好きではなかった。
というよりも、音楽番組と呼ばれるものがあまり好きではないんです。
最近、やっとその理由が分かって、歌番組だと最初から最後まで一曲を歌わない。
それがどうにも気に入らないのだと気づきました。
僕もセミナーとか月刊気学とかを途中で切り貼りされたら面白くないもの。
どこか歌手の方へのリスペクトが不足しているように思えるから、そうした番組が苦手だったみたいです。
こういった感情は、家族であっても理解してはもらえません。
だけど、こうしたこころにやはり素直に生きていきたい。
でも、全部好き勝手で良いなら家族で生きている意味もまたありません。
わずかでも共有できることを大切にしながら生きねばならないのだろう、と。
だから、ゆく年くる年が終わりを告げて、ジャニーズカウントダウンへとチャンネルが切り替わる中、一人サニーへとあごだしと三つ葉を買いに行くというミッションは引き受けたわけです。
僕の舌は本当にバカで、何を食べてもそれなりに美味しく感じるので、あごだしといりこだしの違いさえ分からないのですが。
それでも、家族が「あごだしがないっ!」と叫べば、お使いに行ってあげたい。
それは自身の自由を許されているからこそ、相手の意志も尊重せねばならないと思うからです。
サニーへの道のりでは、本当に人っ子一人おりませんでした。
寒い、暗い道でした。
だけど、人生なんて元々そんなものでしょう。
そういった中で、2021年は二人の社員を迎えることが出来た。
どこまでも孤独なんだけれど、いつまで一緒にいられるかは分からないのだけれど。
それでも今、一緒に歩いてくれる人がいる。
それがなんともありがたいということに気づかせてもらった一年でした。
五黄土星は「吾(まも)る」一年であります。
寅は屋根の下で祈ることを示し、したがって壬・寅・五黄土星の一年は「屋根の下でともに生きる人を守る」一年と言っても良いわけです。
社員さんが増えたことで、確かに僕の負担も増えました。
社会保険料って、なんでこんなに高いの?とか、毎月思ってしまいます(諸外国と比べたら安い方かも知れませんが)。
だけど、それでも僕は彼ら、彼女らを全力で守っていきたい。
いつまで一緒に歩けるかは分かりませんが、それでも一緒に歩けるという奇跡にあずかっているうちは、懸命に守ろうと思うのです。
「守る」なんていう言い方はおこがましいかも知れません。
彼らの願いを叶えるという方が近い表現なのでしょう。
彼ら、彼女らのいのちが欲するままに生きることを応援する。
そんな一年としようと決意した次第です。
もちろん、自分自身の願いも大切にしながら。
今年、僕は鍼灸学校の三年生になります。
長い、長いと思っていた三年間も、あっという間にもう六割近くが終わったわけですね。
あっという間だったな。
そして、さらにあっという間に国家試験がやってきます。
こんなところで躓くわけにはいかないので、しっかりと合格せねばならない。
とはいえ、会社を守る責任もあるから、今年以上に稼がねばならない。
守るっていうのは、金を稼いでいなければ為し得ないことです。
口先だけの守るなんていうのは、ほとんど詐欺に近いと思っています。
金を与えてナンボでしょう。
そこに言い訳を挟みたくない。
だから僕は「愛」という言葉を簡単に使う人をあまり信用しません。
愛には金が伴っていなければならない。
本当に愛するのであれば、金を与えなきゃ。
ジゴロみたいな男はやっぱりダメでしょう。
僕が守らねばならないのは家族、スタッフ、そして社会運勢学会もそう。
2021年、おそらく僕は一番社会運勢学会に金を入れたと自負しております。
「社会運勢学会を守る」というのであれば、そこに対して言い訳はしたくない。
今年はもっと力強く守りたいから、僕はさらに実力をつけていこうと思います。
冬休みが明ければ、学校で研究発表の機会があります。
九星気学や易を理解した上で、鍼を握る人って、おそらく日本にはほとんどいない。
だから、僕は鍼灸師としてだけでなく、気学の鑑定士としても鍼を握ることになります。
ここもおろそかには出来ませんね。
こうして考えていくと、やはり2022年も休めそうにはありません。
そして、店に立つ機会もより一層減ることでしょう。
それでも、その僅かな時間に向き合うことが許されたお客様には、全力で向き合おうと思います。
そんなことを考えつつ、眠れない新年の夜は耽けていきます。
続きはぜひ「一年の流れをつかむセミナー」にてお話させてもらえたらと思います。
セミナー行けないよ!という方はぜひ「2022年遁甲盤入カレンダー+運勢解説セット」をご購読ください。
それでは、今年もどうぞオフトンはり灸院および社会運勢学会をよろしくお願いいたします。
2022年 新春 石川享佑
写真はいつもお世話になっている、岐阜県多治見市の「長高寺」さんの天井画。
この絵に惚れて、多治見での気学の教室が始まったのが、もう8年前になるんですね。