東洋医学のある暮らしセミナー4回目は5月23日!

サラリと素敵な人

こんにちは、福岡市中央区大手門の整体&気学サロン「OFFTOOON」の享佑です。
今日はお義父さんの仏前で正信偈を唱えてから出勤しました。
店についてからは、作業などもあり、この時間に更新になりました。

そういえば、般若心経が若者にも人気らしい。
こんなページを見つけました。

http://corobuzz.com/archives/1083

般若心経は大般若波羅蜜多経の要点をまとめたお経。
だから、「心」経です。

まぁ、現代語訳は。。。
これはこれで間違ってないんでしょうけど。
ちょっと賛成できない部分もある訳な気もせんでもないですね。

般若心経の重要な思想は「空」です。
諸法空相のお経とも呼ばれ、「全てのものは絶対的な形はなく、捉え方によっていかようにも変わる」という意味です。
これに対して法華経は「諸法実相」のお経であり、「全てのものはそのままで素晴らしい」と語ります。

どっちがいいか?とかそういう問題でなく、どちらの思想も素晴らしい。
そして、どちらの考え方も必要です。

般若心経は僕も大好きで、出勤前のジムで、サウナの中で唱えています。
ちょいぽちゃの兄ちゃんがブツブツ唱えながらサウナで大汗をかいている。
想像するだけで異様です。
だから、僕がサウナに入ってるときは、誰も入ってこないのか?

この般若心経は釈迦が亡くなったあとずいぶん立って成立したもののようです。
おそらく紀元2世紀ころですね。
龍樹が「大智度論」を著したのと同じくらいの時期のようです。
そして、作者は誰だかよく分からない。
このミステリアスな感じも好きです。

で、よく読んでいくとわかるのですが、般若心経というのは「否定のお経」です。
お経の至る所に「不」「無」という字が並びます。
さきほどのリンクの現代語訳の秀逸なところは「無」を「こだわらない」と訳しているところ。
これには、僕も大賛成。
「無い」と訳すより「こだわらない」の方がいいと思います。

「無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩垂。依般若波羅蜜多」

とあります。
「見える部分にこだわることもなければ、思うことにこだわることもない。無知であることも、無知がなくなることにもこだわらない。だから、老いや死にもこだわらない。四諦(またいつか述べます)にもこだわる必要ないし、悟りにも何かを得ようとすることにもこだわらない。だから、菩薩は大いなる智慧に辿りつくことができる。」
と簡単に意訳できます。

釈迦は四諦(苦・集・滅・道)を教えの根底においたわけですが。
苦は、一切は苦しみだ、ということ。
集は、苦しみには原因がある、ということ。
滅は、でも苦しみはなくすことができる、ということ。
道は、そのためには、必要な手続きがある、ということ。

この苦・集・滅・道を「こだわる必要がない!」と言い切るところが好きです。
ここにこだわると、仏教の修行を通さなければ救われない。
つまり、ここから「だれでも救われる」大乗仏教が大きなうねりをあげて広がるわけですね。

でも、「こだわらない」だけであって、否定はしていない。
だから、こだわらなくても、出来ちゃうことが重要なんですよね。

朝出かけるとき、近所のおじさんに挨拶しました。
いつも朝はマンションの前にたって、出かけていく子供達を見守ってくれています。
彼にこだわりがあってやってるのか?
何かの修行のためにやっているのか?
違うはずです。
ただ、当たり前のように立っている。
それだけです。

資産何億円の方が、お勉強会に来てくれています。
いつもニコニコしています。
僕も彼女を「先生」と呼ばせて頂いていますが、「先生、いつも笑顔が素敵ですね。」と言うと、

「そう?普通ですよ。」

とおっしゃる。
彼女にとってニコニコは当たり前のことなんですね。
当たり前のように、こだわりを持たず、素敵。
これはなかなかできませんね。

だいたい、釈迦は「苦行では幸せになれない。」といって仏教を開いた人です。
実は幸せへの道は、とっても簡単なのだと思う。
こだわらず、サラリと素敵な人。
これを目指していきたいものです。

僕がどうしてもしっくりこないのは以下の部分。

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」を訳した部分ですが。
これを直訳すると。

「行け、行け、悟りに向かっていけ、みんなで渡っていけ、菩提の世界へ。」

みたいな感じです。
だから、心は消えというよりも、そのままの自分と周りのまま救われろ、みたいな感じなんですよね。
菩提だから、心は消えと言ってるのか?
いやよく分からないけど、何というか、もう少し軽さが欲しい。
ちなみに、お師匠さんは

「行こうよ、行こうよ、悟りの世界に向かっていこうよ。みんなで行こうよ。行けば菩提の花が咲く。」

と訳していました。
やっぱりこっちの方がスキッとしていいですね。
「行けば菩提の花が咲く。」
花を咲かせるのは、向上心とどんな苦の中にあっても光を見失わない覚悟なのだと思う。

では、今日もご来店お待ちしておりますよ〜!!

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写真は鑑定ルームの黒板。
黒板シートだけだと上手く貼れずに剥がれまくっていたので、ちょっぴり手を入れました。
手を入れることを、易では「中する」といいますね〜。
ちなみに、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は「中るも八卦、中らぬも八卦」の方がより易の本質を表しています。
現状をどう受け止め、どう変えていくか?は自分次第なんだ。

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