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黄帝内経を読む〜四氣調神大論篇第二・その1〜

黄帝内経・素問・ 四氣調神大論篇 第二.
春三月.此謂發陳.天地倶生.萬物以榮.
夜臥早起.廣歩於庭.被髮緩形.以使志生.
生而勿殺.予而勿奪.賞而勿罰.
此春氣之應.養生之道也.
逆之則傷肝.夏爲寒變.奉長者少.

春の三月(=新暦2月、3月、4月)を「発陳」と呼ぶ。新暦を迎え、新たに天地は創造され、万物もまた新たな生命を花開かんと活動を開始する。
こうした季節には、夜は早く寝て朝は早く起き、庭をゆったりと散歩し、髪はしっかりと結ばずに緩めてやる。そうすると自ずからやる気や決意が生まれてくる。
天地、万物、決意が生まれてくる時期なのだから、あらゆるものを殺すことなく生かし、奪うこと無く与えることを考え、罰するではなく褒めてやることだ。
これが春の気に応た、春の養生の道なのである。
これに逆らった生活のあり方は五臓の「肝」を傷つけ、夏になると暑いのに寒気がする寒変を起こしてしまい、夏の徳である「長」すなわち活発な新陳代謝と生育ができなくなってしまう。

【所感】

春の3ヶ月は「発陳」と呼ぶらしい。この「発」は発生である。日照時間が徐々に長くなってきて、地表は温められ、地中から陽気が発生してくる季節である。この「地中から」が大切で、まだ地表および外気は「寒い」のだ。
東洋思想では三才観と呼び、この世を「天・人・地」の三つに分ける。天は成層圏から先の宇宙であり、地は地球という天体、その間に存在するのが人のゾーンだ。
天は上で、地は下。だから、外気が寒くて地中が温かいのは上に陰、下に陽の状態で、この状態を「少陽」と呼ぶ。この少とか陽とかという言い回しは、今後、たくさん出てくるから頭の片隅に置いておいてもらえたらいい。

次に「陳」は「つらなる」である。だから、発陳とは「次々に発生する」という意味になる。桜の花なんかを思い浮かべてもらえたら分かるけれど、一つ開花したら、また次の日には別の花が、といった調子でどんどん連続して生まれてくる。これが春の気の特徴だ。

人間で言えば、まさに青春期である。青春期に夢見ていた自分に、今の自分はなれているだろうか。僕はと言えば、半分「イエス」で半分「ノー」だ。
僕は、プロ野球選手になりたかった。また、同時期に野球の投球フォームや打撃フォームを解析する仕事につきたかったし、IoTを推進するような電機メーカーに就職したいとも思っていたし、医者にもなりたかったし、教師にもなりたかった。
要するに、「夢」というものが次から次へと生まれてくる季節だ。鍼灸師なんていうのも、その中の一つに過ぎない。もちろん「鍼灸師になる」なんて職業として具体的にイメージしていたわけではない。高一で肩の怪我をし、三年間まともにボールを投げれなかった無念さから「誰かの痛みを取れる人間になりたい」と思っていただけだ。青春期の夢とか目標なんて、こうした頼りないものであって、それでいいのである。

春の花の蕾は冬の間、固く閉ざされている。その固く閉ざす力を緩み、解けるようにして花が開く。これに倣って、人間も春は緩めねばならないのだ。大地の奥の方で、陽気が立ち上がり、地表を破って植物の芽が出るように、自身の身体の内面にある陽気を発動させ、まだ肌寒い外気へと放散させてやらねばならない。そのためには気血がまるで雪解け水が作り出す川のように流れねばならないから、体内の川である気血の流れをせき止めてしまう帯(現代ならベルトとか)を緩めなければならないのだ。

さて、人間の「気」というのは、寅に起こり丑に収束する。つまり、午前3時から新しい一日の気が立ち上がり、翌3時にその日の気が全く収束するわけだ。春はこの気を「発」させねばならないのだから、できるだけ早く目覚め、体内に陽気を立ち上げるのが望ましい。一方で、まだ春の陽気は弱々しく頼りない。従って、翌日にまた朝早くからしっかりと陽気を立ち上げるためには、十分に陰気を蓄えることで、そのためには睡眠が最も重要である。そこで「早寝早起き」となる。
これができないんだ。午前3時といえば、僕はまだ寝てすらいない日もある。「これでは養生の道からほど遠い」と自覚しながらも、仕事に追われ、ひたすらキーボードを叩くばかりの日々。どこかで切り替えねきゃと思うのだけれど、「展望と開運セミナー」や「遁甲盤入カレンダー」の特典冊子など、書き物が多くなるこの時期は、その日のうちに眠れることなんてまずない。

で、早く起きたら、まずは家の周りをゆったりと散歩する。オバマ元大統領がセントラルパークを毎日ジョギングしていたのは有名な話だけれど、やはり世界のエグゼクティブは早朝の散歩を大切にする。この散歩によるリラックス効果というのは絶大で、太陽の光を浴びることによるセロトニンの分泌や血流の亢進による交感神経優位からその後の副交感神経へのスイッチングによるリラックス、またゆっくりと呼吸をすることや歩行という単純運動によるセロトニン分泌など、心身に多幸感を与える働きが強い。
こうした習慣が、一層のパフォーマンスの向上をもたらすのだから、やらない手はない。それが分かっていて、夜更かしをしてしまう僕は、やっぱり心が貧しいのだと猛省する。

髪を緩めると、不思議と心も緩む。顔には陽経の経脈が集まっているのだけれど、髪を束ねることによって、顔の皮膚は引っ張られ疎通が悪くなる。だから、髪を緩めれば、それまで緊張していた陽経の経脈が開放され、心も陽、すなわち明るさに向かう。
明るく、リラックスした雰囲気。ここから「決意」すなわち「志」というものは生まれてくるのである。

「夢がない」とか「目標が分からない」なんていう人がいる。青春期ならそれでいいんだけども、一定の大人になって自身の歩むべき方向性が見つからないのは、正直イタい。では、どうしたら良いかと言えば、やはりリラックスと前向きさを持つことだ。
この辺は仏教が上手に説明をしている。六波羅蜜といって、悟りに向かうための六つの手段というか、段階を表すのだけれど、それは

① 布施 ② 持戒 ③ 忍辱 ④ 精進 ⑤ 禅定 ⑥ 智慧

の6つである。このブログは仏教を語るものではないので、簡潔に済まそうと思うが、①から③は読者さんで勉強してもらうとして、④は「前を向くこと」であり、⑤は「静かな心の状態を保つこと」で、さらに⑥は目標達成の智慧が身についた状態である。
だから、夢を持つとか目標を持つとかっていうのは、その前提に「前向きさ」と「静かな心」が不可欠なのだ。そのためには、さらに前の①〜③が重要なのであって、これが現代の日本社会には欠如しているのだと僕は踏んでいる。だけど、この辺は正直、家庭教育のレベルであるので、ここで言及するのは難しい。

本題に戻ろう。「ゆるめる」とは「ゆるす」ことでもある。春は様々なものが連続して生まれてくる。そうした多様な生命のあり方を認め、許さねばならない。だから「生かして殺すことなかれ」であり「与えて奪うなかれ」であり「賞して罰するなかれ」なのだ。なんと、SDGsなんていうものは、黄帝内経の頃(厳密にはもっと前から)から養生を通じて語られていた概念だ。
だから、青春期の子供たちに、否定的な言葉をぶつけるのは最悪な行為だと知っておきたい。年齢だけでなく、新たなチャレンジやトライを行おうとしているものに対して、ネガティブキャンペーンを貼るのも最低だ。もちろん、相手の成長を促すために、イノベーションに導くために、あえて厳しい言葉を投げかけることは重要。それでも、根底に愛がなければならない。
春の徳は「仁」である。仁とは愛である。仏教では愛を「慈悲」と言い、それは「抜苦与楽」でもある。苦しみを取り去ってやり、喜びを与えるのが愛である。春は愛に生きねばならない。

こうした生活のあり方が春の養生の道であると黄帝内経は語る。
この道に従わないと、夏になって寒変という病気になってしまう。外気温が暑いのに、身体は冷えて仕方ないという病気だ。いわゆる冷え性と言っても良いのだろう。
春は身体の奥底から陽気を外に向けて発し、冬の間に身体に侵入した寒気を外に追い出してやらねばならない。これをしないと、夏になっても体内に残った寒気が邪魔をし、夏の「のびのびと陽気を伸ばす」ことが不可能となる。これが「長を奉ずる者少し」である。その状態を「寒変」と呼ぶわけだ。

夏の健康は春に始まる。夏になってからジタバタしても遅いのだ。東洋思想は循環を大切にする。循環とは連続である。昨日のことを無かったことにはできない。養生の道は一日にしてならず、なのだ。
同様に、中年期の活躍は青少年期の教育のあり方で決まる。昨日まで勉強をしなかったものが、今日から急に社会で必要な人材となることはない。

東洋医学・東洋思想はまさに「天人合一」である。人生のあらゆるところに養生があり、心と身体は一つに貫かれ、天の動きに呼応して健康な心身は育まれる。
今日こそは、早く寝よう。

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