こんばんは、福岡市中央区大手門の整体&気学サロン「OFFTOOON(オフトン)」の享佑(きょうすけ)です。
スタートアップウィークエンドが終わり3日も経つのに、まだ熱が抜けない。
それほど強烈な体験だったのか、と今さらながらに思います。
そういう経験が出来たことに感謝。
これからスタートアップをしようという人(僕も含む)が、何かしら考える材料になれば、と。
まずは「般若心経」の最初の部分を紹介します。
ここから、さらに理論は展開されるのですが、特に重要なのはこの辺りです。
では、スタートアップ的に解釈を進めようと思います。
観自在菩薩は般若心経の主人公。
この菩薩さんは後で解説します。
その菩薩さんが行深、つまり修行を極めていったとき。
どんな修行か?、般若波羅蜜多、ここでは簡単に悟りとしておきます。
照見、はっきり見えた、というわけです。
色・・・形あるものの訳で現象として現れているもの。体も色にあたる。
受・・・感覚。熱湯に手を浸せば、熱いという感覚が伝わる。
相・・・語源的には「すべて知る」ということ。熱湯を「熱いもの」と了解する働き。
行・・・意志の方向性。熱いから手を出さないといけない、と手を引っ込めること。
識・・・分別して認識すること。湯気が出ている液体は熱くて火傷するから危ないな、と認識すること。
この後に「度一切苦厄」という後で話す一句が入り、続いて有名すぎるほど有名な
「仏教は空なんだろ?人生って空しいだけだよな、本当に。」
「色空 空性是色」
「色と空は離れては存在できない」
人間が生きていることだって、あてにならない。
2年前にはピンピンして、バンコクで一緒に夜の街に繰り出していた人が先日亡くなった。
命などというものは、全くあてにならない。
でも、そうは言っても我々は確かに生きている。
だから、あてにならないとはいえ、それは認めなければどうにもならない。
自分なんていうのも、あやふやすぎるほどあやふやだけど、仮に決めなければ生きられない。
そして、「色即是空 空即是色」の世界に入っていく。
つまり、たしかにこの世は空しい。
人間もあてにならない。
そして、さらにあてにならない子供を作ったりする。
子供なんて、本当にあてにならない。
こんなに愛してるのに、「パパうざい」とか平気で言うもんね。
それでも、いや、だからこそ、愛してしまう。
スタートアップなんて言うのは、本当にあてにならない。
多くのチームが「またこのメンバーで何かやろうね!」なんて言ってたけど、多分何もやらない。
まことにあてにならない。
これが悪いわけじゃない。
あれほど仲が良かった中学校の同窓会ですら、卒業してから一回も開催されてないんだから、当たり前といえば当たり前。
自力で出来そうなことを、まだやってないってことは、多分、今後もやらない。
でも、だからこそ、その中から生まれた本物の友情や企画というのは素晴らしいわけです。
あてにならないから、素晴らしい。
あてにならないにもかかわらず、あの場に居合わせれた奇跡と、ともに過ごせたご縁と、そこに導いてくれた出会いに感謝しなければならない。
僕はそう思うんです。
0は何にもないから、何でも入る空間を持つ。
だから、あの経験を0にするか?無限の広がりをもたせるか?は自分の意思次第なのだと思う。
大事なのはビジネスプランを評価してもらうことじゃなく、とりあえず0から僅かばかりでも形を作ったという頼りない現実を、無限に広げていく姿勢だと思う。
と言って、うちの店の門を叩く人は何人かいた。
でも、本当に独立したのは、ごくわずか。
まことにあてにならない。
「起業したいです」
スタートアップというのは「独立・起業する」そのものを現す言葉ではないと思う。
「アントレプレナー」は起業家だけど。
スタートアップというのは、「まだ見ぬ価値の創造」と言った方が、僕はしっくりくる。
だから、「独立したい」と言って独立しなかったのをバカにする気持ちは全然ない。
今、残ってくれているスタッフは、「うちの店で働くことで『しか』生み出せない価値」を見出してくれた人たちだから、むしろ尊敬している。
だから、「起業=独立して自分でやること」とは捉えない方がいい。
価値を生み出すことを見つけ、それによって対価を得られるなら、組織に属していても「起業」は可能だ。
「このプロジェクトには10億円の予算を・・・」とか考えられない。
「石川さんは、自営だから自由でしょう?」
社長業なんていうのは、一面、不自由極まりない。
でも自在には「不自在」という対義語はない。
自由も不自由も問題にしない態度を自在という。
そんなことが出来るのは菩薩だけ、と仏教はいうけど、僕らも生きる姿勢としては自在でありたいと願う。
大学生だから世間を知らない。
社会人だからビジネスプランがすごい。
そう思っているうちは、スタートアップは無理だ。
最後に、「度一切苦厄」を。
これは、玄奘の訳にしか入っていない。
あきらかに玄奘の創作だけど、だからこそ味わいがある。
活版印刷、蒸気機関、インターネット、明治維新、すべて人生をよりよくするために常識を打ち破っていった。
ちなみに、覚悟というのは、「覚る」と「悟る」の二つから成り立つ言葉。
覚るは世の中のことが分かる。
マーケティングで言えば、「マーケットイン」。
悟るは自分のことがハッキリと分かる。
つまり「プロダクトアウト」。
この両方が揃って、「覚悟」。
儒教では「致知」と「格物」ですね。
だから、「自分は何者で」「今、何が求められているか?」を知ることが覚悟。
玄奘は「世の中の問題を見つけられたなら、あなたはその解決策を持っているはずだから、解決せよ!」と言っているわけです。
なるほど、稀代の冒険家・起業家の言葉は重い。
つまり、「問題を見たやつは解決に向けてのアクションをとれ!」という強い意思表示な訳です。
「傍観者は許さない」ということ。
般若心経というのは、そういう意味でとても厳しい経典です。
あてもなく、頼りなくでもいいから、その問題解決に向かってアクションを起こさなければならない。
般若心経というのは、実は「空しい」ものでは全然なくて、「0という無限の可能性を信じて、力強く前に進もう」という仏教者の意志表示なわけです。
僕も、今回頂いたご縁を生かし、仲間達と渡っていきます。
ビジネスプランで語った、「運勢の強い人を増やす」というミッションに向けて。
アプリ開発は、その一歩に過ぎない。
一歩に過ぎないけど、踏み出さなければ次の一歩はない。
なんともあてにならない、頼りない一歩だけども、一歩踏み出せたなら、無限の可能性を持つ。
だから、歩き始めよう。
般若心経に背中を押してもらい、勇気を出して。
追記
全く同様の話が、StartupWeekendFukuokaさんのFacebookページに書かれていました。
参考になることが多いので、リンクしておきます。
どの投稿のことを言っているか?はご自身で見つけてみてくださいまし。
本当に出来る人、出来る企業って、思想を身につけるまでもなく実践してますね。
でも、その一部に入れない凡人の僕は、多くの凡人の仲間に対してこういうことを伝えることが大切だ、と思ってこれからも活動を続けようと思うのです。
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写真は友人に頂いた佐藤錦。
美味しかった。
佐藤錦は一瞬で僕の腹の中に消えた、儚い「空」。
でも、僕はこれからサクランボを食べるたびに、友人が佐藤錦と一緒に持ってきてくれた出産の報告と、その笑顔を思い出す。
色即是空・・・サクランボははかなく消えたけど
空即是色・・・友の笑顔は永遠だ。
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