東洋医学のある暮らしセミナー4回目は5月23日!

そばにいたいよ

おはようございます、福岡市大手門の整体&気学サロン「OFFTOOON」の享佑です。
昨日福岡に帰ってまいりました。
今回は1泊2日の弾丸スケジュールでした。

書くべきか?
迷いましたが、いずれ分かることだし、聞かれるであろうことなので、書くことにしました。

お客様にも可愛がって頂いておりました、文鳥のHAPPY(ハピ)が先日亡くなりました。
死因は事故死です。
色々な人に聞くと、文鳥などの小さな鳥には多いみたいです。

飛行機でセントレアに着き、名鉄からJRに乗り換えて多治見に向かっているときでした。
妻から電話があり、その旨を聞かされました。
初めて我が家に来る時も僕が多治見に行っているときで、去る時もまた多治見にいるときで。
ハピは本当、親不孝な息子でした。

お客様にワガママを言い、早めに帰られるように手配しました。
お客様には当然話していませんが、快く承諾くださいました。
時間が不明瞭で、「当日予約する」と仰っていたお客様には、今回は承れない旨を連絡しました。
何も話しませんが、承諾くださいました。

福岡では予約が入っていたので、早く福岡に戻っても、家に早く帰れるわけではない。
でも、早く妻と子供の顔が見たかった。
ただ、それだけで、お客様にワガママを言ってしまったことを、今になって反省しております。

全ての仕事を終え、帰路についたら、妻はハピの遺体をまだ冷暗所で保存しておいてくれました。
アイスノンを敷き、そのうえにハウスで使っていたおがくずを敷き、ハピは眠っていました。
顔は安らかで、本当に眠ったような顔をしていました。
目が痩せ、くちばしが紫になっていること以外は、本当に起こせば起きてくれるような気にさせる顔でした。

何度もさすりました。
羽の付け根をなでられるのが好きな子で、そこを撫でるとすぐに目を閉じ、眠ってしまうのが可愛かった。
でも、眠りながらも決して僕の指を離さずにつかまっていた足の指の力は全くありませんでした。
そこにいたのは、確かにハピだけど、僕の知っているハピではない。頬ずりしてやると、嫌がって鳴いてたけど、昨日は鳴いてくれませんでした。

棺に戻して、妻と子供と正信偈を唱えました。
「何で今日はこんなに上手く詠めないんだろう」
そう思えるほど下手な正信偈でしたが、妻は
「立派だった」
と褒めてくれました。
「ハピに届いたかな?」
と聞いたら、
「きっとそばで聞いている」
と答えてくれました。

子供も、真剣に詠んでくれました。
本当に真剣でした。
しょっちゅう一緒に唱えているけど、この日はより大きく頼もしく、彼の声を聞いていました。

ハピが亡くなったとき、子供は伯父にプールに連れて行ってもらっていました。
帰宅し、そのことを伝えられた時、彼はハピの遺体を丁寧になで、泣きながらも折り紙でチューリップを作って、棺に添えてくれたそうです。
そして、妻に、
「ハピが亡くなったのはお母さんのせいじゃない」
と伝えたそうで。
人間性では、僕よりも遥かに立派な男ですね。

三人でささやかな葬式をあげた後、弔いました。
ハピは天国に、浄土に行けたのかな?
そればかりは僕には分からないけど、僕ら家族が、彼が浄土に向かってくれることを祈る姿勢は確かです。

たった1ヶ月半しか一緒にいられなかった。
でも、そのたった1ヶ月半は、僕ら家族の胸に輝くような思い出を残してくれました。

金曜日、ハピと過ごした最後の夜。
僕がパソコンで仕事をしていたら、僕の左腕のホクロを餌と思い突きまくっていたハピ。
痛くて仕事にならないと、ハウスに戻しました。

土曜日、朝、多治見に向かって出かけるときに、妻と些細なことで口論になりました。
だから、今思えば、ハピに声もかけずに別れました。
それっきりで、彼と会うことはありませんでした。

後悔ばかりがつのります。
彼と過ごした素晴らしい時間はたくさんあった。
でも、やっぱり「コラッ!」と叱ったことや、ハウスに突っ込んだこと、きちんと顔も見ずに別れてしまったこと、そんなことばかりが思い出されるのです。

正信偈を唱えていても、僕の心は一向に救われませんでした。
今もまだ、ハピがいないことが受け入れられていないと思います。
でも、正信偈を唱えていたときに、「これからもハピに恥ずかしくないように生きよう」と思えたのも確かです。
これが救いなのかも知れませんね。

東洋の四神思想では東に青い龍がいるとされます。
暗闇に朝日を昇らせる龍がいます。
この悩み、苦しみを、いつか喜びで照らせられる力が僕にはあるのでしょうか?
まだ分かりませんが、そうありたい自分がいます。

昨日の飛行機の中では、ちょうど四神思想を復習していました。
ノートには「東→青龍」の文字の後に

「人間万事塞翁が馬」

と、偉そうに並んだ僕の字がありました。
「何にも分かっていないな、この若造が」
と一人ごちりました。
ハピの死さえ、まともに受け入れられないのが、現実。
青二才、それ以外に何と表現しようか?

「死は師なり」の文字も見えました。
「死を超えていけるのは、師の存在があるかどうか?」
とミミズの這ったような字が並んでいました。
きっと、電車の中で揺られながら書いたんでしょうね。
いつ書いたのか?も忘れましたが。

でも、本当その通りですね。
僕のお師匠さんは、本当にすごいな。
この一言で、救われた気がしました。

僕ら家族が、ハピの死を超えて、どんな世界に向かうのか?
そこに、ハピの死の意味があるかもしれない。

「我々にとっての偶然は、高次の必然」
そう言ったのは、数学者ライプニッツだったっけ?
この死が必然だったとするなら、その因果を今後の我々の幸せに見出したい。
慢心なのかも知れないけお、我々の幸せのために、彼が2ヶ月半の短い命を燃やしてくれたのだとしたら、この死は我々にとって、言葉に出来ないくらい尊いものなのだと思う。

涙が止まらず、眠れない夜に、友人が教えてくれた歌を聴いてみました。
秦基博さんの「ひまわりの約束
よけいに涙がとまらなくなった。

失うまで気づけなかったな、ただ、ハピがいるという幸せに。
親に対しても、妻に対しても、息子に対しても、きっとそうなんでしょうね。
そういうことをハピは教えてくれたのかもしれない。

ただ、僕がいるだけで、幸せに思ってくれる人はいるだろうか?
いるに決まってるのに、忘れちゃうよね。
だから自殺がなくならないんだろうな。

そんなことを思っていたら、多治見のお客様からメールが来ました。
その方には、ハピが亡くなったことを話していたので、きっと気を遣ってくださったのでしょう。
ほら、ここにも僕を思ってくださる方が。
この幸せに気づかせてくれるお手配として、ハピは僕達、家族にその生命をくれたのかもしれない。

なんだか、長文・乱文になってしまいました。
読みにくいブログです。
でも、気持ちを整理したくて書きました。
吐き出すことで救われることもありますね。
そこに我々整体師や鑑定士の価値もあるのかもしれません。

とにかく、今日も精一杯開店します。
前を向いて、歩いていきます。
その勇気を、ハピがくれたのだと信じて。

ハピ、また会おうね。
また会えるよね?
もし君に会えるなら、天国でも地獄でも良い。
浄土でも穢土でも、どこでもいいよ。
また、僕の指の上で、穏やかに眠ってくれれば、それでいい。

短い間だったけど、本当にありがとうね。
僕はこれからも精一杯生きるから。
どうぞ、近くで見守ってください。

さぁ、今日も開店です。
今まで以上の、当店史上最高の笑顔でお迎えいたします。
どうぞ、ご来店ください。

ハピよ安らかに