東洋医学のある暮らしセミナー4回目は5月23日!

今日も明日も明後日も

おはようございます、福岡市中央区大手門の整体&気学サロン「OFFTOOON」の享佑です。
今日は終戦記念日。
70年間、戦争に巻き込まれることなく、平和に発展を遂げられた日本という国に生まれた幸せと、その礎を築いた先人に感謝を。
そして、靖国神社に祀られている213万もの太平洋戦争での戦没者の霊に鎮魂の意を。

しかし、僕は浄土真宗の信者なわけで。
そして、神道の信者ではないわけで。
靖国神社という特定宗教法人が、戦争での戦没者を祀っていることの意味を、靖国参拝の問題を云々言う前に知っておいた方がいいと思うのです。

例えば、僕のお爺さんが戦争で亡くなって靖国神社に祀られたら、僕は靖国神社にお参りにいっても、そこで「南無阿弥陀」を唱えることが出来ない。
でも、千鳥ヶ淵は特定宗派に属さない墓地なので、僕が「南無阿弥陀」と唱えることが可能だし、僕の友人の日蓮宗の方が「南無妙法蓮華」と唱えることも可能です。
キリスト教徒の友人がいても、一緒に連れ立って僕は「南無阿弥陀」、友人は「アーメン」、これも可能。
もちろん、僕は神社も行くし、靖国神社に行って柏手を打つことにもあまり抵抗はありません。
が、これは宗教というものに対して、あまり執着がない(ように僕には見える)日本という国だからこそ可能なわけであって、国際的には奇妙に見えても仕方ないですね。
公人の靖国神社への参拝の是非を議論する前に、戦没者に慰霊の意を表すためであれば千鳥ヶ淵に行けば済む気がするのですが。
浅学の僕には判断をしかねる部分ですけども。
もちろん、A級戦犯の合祀問題はまた別の話です。

そういえば、「終戦のエンペラー」という映画を見ました。
良い映画だったと思います。
しかし、興行成績はいまいちだったようで。
とくにアメリカではかなり批判されたようです。

「日本の戦争責任を無視している」

との声が多かったようですが、この映画のどの部分を見たらそうなるのか?
よく調査をされて描かれているなぁ、という印象だったのですが。
劇中でも、昭和天皇は「全責任は自分にある。」と述べているのにね。
批判の意図がよく分かりませんが、とにかく儲からない映画だったようです。
昭和天皇がマッカーサーを訪れる場面は、描写も細かく描かれていて、とても勉強になりましたよ。

昭和天皇は易を愛した人だったようです。
今上天皇の「継宮明仁」というお名前は易の「離為火」からとっていることは間違いない。
明治天皇即位の詔を出典ともされていますが、僕は易からのお名前だと信じております。
昭和天皇がそれを伝えたかどうか?は知りませんが、字のつながりからすると、やっぱり易からとったとする方がスムーズなのです。

戦後復興の歩みを見ていくと、やはり昭和天皇の残した功績はとても大きいのだろうと。
そして、その歩みをしっかりと受け継いでおられる今上天皇もやはり尊敬に価すると思います。
先日は高齢をおしてパラオに鎮魂の旅に赴かれました。
その強い意志の後ろには、昭和天皇の姿が見えて仕方ないのです。
「明を継ぐ」という文章が「離為火」の中にあります。
この一文が「継宮明仁」の出典になっていると思います。
明は太陽であり、智慧であり。
つまり太陽は一度沈んでもまた翌朝昇り、そう動きを止めることなく今日も明日も明後日も、何度でも昇る。
それを見て、君子は先人の智慧を引き継いでいく。
今上天皇は昭和天皇の願い通り、先代の意志を引き継ぎ、日本にまた太陽を昇らせたのだと思う。

そんな昭和天皇は九紫火星の人。
聡明かつ情熱的。
本当に九紫火星らしい偉人だと思います。
昭和天皇、今上天皇の偉大さと、易の精神性に感嘆しながら。
今夜は先人の死を悼み、おだやかに過ごそうと思います。

当店からのぞむ夕暮れの大手門の風景。
明日もまた、日は昇る。

夕暮れ