いつもありがとうございます(^o^)
OFFTOOONの享佑です。
【易経基礎集中講座】
9/22、23(土、日)
各日10:00〜17:00(二日間の講座です)
会場:福岡商工会議所303号会議室
料金:64,800円
*易は伏儀により提唱され、数千年のときをかけ洗練され、孔子によって近代的な文書として完成されました。
その後は儒教の根本聖典や人倫の書として用いられてきました。
日本では朱子による解釈を基にした易が徳川幕府により用いられたことで長い間誤解され続けてきた学問ですが、易学教室では本来の易経に接することで易の理論と根底に流れる人生観や世界観を捉えた鑑定法を学びます。
学んでいくと、自身の潜在意識を形として表してくれる卦を手掛かりに、自身と社会の関わり方のヒントをご自身の手で得られるようになります。
当店で二〜三年くらいかけて学ぶ内容を二日間で学ぶことが出来ます。
この易経という儒教の経典というのは、学べば学ぶほど面白いものです。
だいたい成立から5,000年くらい経っている書なのですが、まだまだ未解明な部分も多い書で、その点が愛好家の心を掴んで離さないのでしょう。
5,000年くらい経っているとはいえ、現在の形に完成させたのが孔子です。
孔子(とその弟子たち)が易経の十翼を著し、現代的に解釈を進めていきました。
そこからさらに2,500年程度経ち、現在でも我々の手元に残されているわけですが。
孔子のような頭の良さを持ち合わせていない僕にとっては、非常に難解な書で、日々格闘中なわけです。
毎日毎日、折に触れて易を開き、文字を追い、解釈をしていく。
めちゃくちゃ地味な作業です。
でも、とても好きな時間でもあります。
開くたびに新しい発見があり、そのたびに、奥深さを感じさせられます。
とにかく、僕はこの易経という書が大好きなわけです。
だから、一緒に学ぶ人がたくさん増えたらいいな、と思うわけですね。
ただ、読むためにはいくつかの法則やテクニックを学ぶ必要があります。
それを学ぶのが、この講座なわけです。
これらは、一度学んでしまえば、一生モノです。
その後はずーっと自分一人で易経を深めていくことが可能になります。
だから、とてもオススメ。
最初を独学でやってしまうと、取り返しのつかないくらい、易経の本質から外れてしまいますから…。
最初だけ、我々がガイドしますから。
ぜひ、この講座に起こしください。
振り返ってみれば、僕はこの書に出会わなければ、3〜4回は命を落としていたかもしれません。笑
絶望の淵に立たされたとき、この書を開き、
「こんなところで負けてたまるか」
と明日への希望と活力を頂いていたものです。
そんな経験があるからこそ、僕はこの書を学ぶことを真剣にオススメしています。
僕は易の本の中に、占筮したことなどを書き込んでいます。
そのおかげで、僕の本はボロボロになり、とても読みにくくなっておりますが。
久しぶりに、色々と過去の占筮を読みかえしておりました。
どうやら、僕が人生で最初に立てた卦は
「火風鼎」の上爻変
だったらしい。
そのときは、自分では解釈できず、当時師事していた先生に解釈してもらったのを覚えています。
占筮した内容は、当時赤字がひどかったお店を撤退しようか迷っていたので、このまま継続させてもいいのか?という内容でした。
先生は
「このまま継続させなさい」
とおっしゃってくれて、何がなんだか分からないまま、とりあえず店を続けました。
この卦は非常に良い卦なのですが。
詳細な解説は、どこかの勉強会でやれたらいいな、と思うわけですが。
とにかく、そのときは分からなかったけど、すごい卦だった。笑
でも、その当時はこの卦を得たときに、何をすればいいのか?よく分かっていませんでした。
この鼎という卦は組織活動においては最高の卦と言っても過言ではない。
その良さを活かしきれたか?と言えば、Yesとは言えないな…。
あのとき、もっともっと学んでおけば、僕はもう少し良い組織作りが出来たかもしれない。
まぁ、「タラレバ」なんて通用しないのが経営という世界なわけだけど。
それでも、もう少し変わったかな?とか思うわけです。
今、もし当時の僕にアドバイスが出来るとしたら、
「あーしたらいいよ」
「こーしたらいいよ」
なんて言うことが可能なのだろうけど。
当時の未熟さを情けなく思うと同時に、ここまで成長出来たことに感謝の一念です。
だからこそ、もっともっと学ぼうと思うわけですね。
でも、何にも分からなくても、たしかにそのとき、僕は易に勇気をもらった。
信じられなくても、言われたとおりにやってみてよかった。
あれから長い時間が経った今、その店はまだ存続していて、今日もお客様に喜んでもらっている。
それが全てを表している気がします。
僕は浄土真宗の家に生まれて、浄土真宗の保育園に勤める母に育てられました。
浄土真宗では、蓮如上人が著した「歎異抄」という本を勉強するのですが。
その中に親鸞さんの
「善人なおもて往生す。いわんや悪人をば」
という、日本仏教史上かなり有名な言葉があります。
「善人でさえ極楽浄土に行けるのだから、悪人が行けないわけなかろう」
という意味の言葉ですが。
まぁ、強烈な一言だから、かなり誤解も生まれて批判も受けたようです。
それは良いとして。
ここでいう善人っていうのは、自力作善といって、自力で物事を解決できちゃう人のことです。
自力で解決しちゃうのだから、阿弥陀さんの力なんて借りる必要がない。
そんな、阿弥陀さんからそっぽ向いちゃう人でさえ、阿弥陀さんは救っていく。
だとしたら、自力で何にも出来ない愚かな人はもともと阿弥陀さんに救われるしかないのだから、阿弥陀さんが救わないはずがないだろう、ってことなんです。
僕は、易の放つ光に阿弥陀さんを見た気がするんですね。
解釈出来ていようが、出来ていまいが、ちゃんと救ってくれる。
この「易」というものに触れた人をぜーんぶ救ってくれる。
易を学ぶ過程において、様々な奇跡を目の当たりにしてきた僕にとって、本当に易というのは「神秘的」な存在なわけです。
もちろん、学んでいけば、ロジカルで、「なるほど」と思わされることも多いんだけど。
でも、やはり易の神秘性というのも僕を魅了していて。
易のロジックとともに、その神秘性も感じて頂ければいいな、と思う次第です。
あー、今から週末が楽しみになってきた。笑
ところが、残念なお知らせ。笑
諸事情から、おそらく当社主催のこの易の集中講座は今回が最後になります。
だからこの機会を逃すことなく、ぜひ一緒に学びましょう。
そして、あなたも僕が感じることが出来た、易経が放つ「絶望を救う光」を感じて見ていただきたいものです。
学び終えた後は、我々と同じ学問を学ぶ同士として、切磋琢磨出来たらいいな。
そんな風に思うばかりです。
講座の詳細についてはコチラをご確認ください。
ではでは、みなさまのお申込みお待ちしております。
まずはお気軽にお問い合わせください。
(TEL:092-406-6199 担当:石川享佑、石川紗里)