新型コロナウイルスに伴う感染拡大防止の対策と営業に関するお知らせ

伝えると受け取るの話

こんにちは。

 

 

昨日のいいお天気から一転して、本日は曇り空。

昨日お布団を干していて良かったです。

 

 

ここ最近は突風が吹き荒れることが多いですね。

お洗濯物が飛んでいくのではないかと心配になります。

 

 

 

風が強い時は、偏頭痛や神経痛などが出やすい印象です。

お薬が効かない方もいらっしゃいます。

 

 

可能であれば、自分ではない人から施術を受けるなり触ってもらうなりが1番有効だと私は思いますが、自分しかいないという時は、寝てやり過ごすのが1番です。

 

こういう時、スマホは極力扱わない方が楽になるかと思います。

 

 

 

 

 

さて、今月も月刊気学の準備がひと段落しました。

 

私が担当をさせていただいているのは僅かなページですが、他の大多数は享佑先生が執筆をされています。

 

 

わずか2000字弱でも苦戦をするのに、あれだけのものを毎月、しかも講座や施術、経営、家族活動、そして今年からは学校までを併用運転しながら書き上げるのは、かなり超人的だなと思います。

 

 

自分の内側にある物を外側に表現をするのはとても難しいです。

 

執筆に限らず、創作やデザイン、芸術活動、音楽的表現や演劇、ダンスなどなど、、、目の前にある物を説明するのではなく、自分の内側にあるものを人に伝えるのは本当に難しい。

 

月刊気学のレイアウトだって、紗里先生が、どういうものだったら見る人により伝わりやすいか?分かりやすいか?執筆者のキャラクターと合っているか?かつ月刊気学のコンセプトから離れていないか?

など、練りに練って構成してくださっています。

そういうプロのデザインがあるから、あれだけ読みやすく、分かりやすいものに仕上がっているわけです。

 

 

 

 

伝える側は、相手に伝わりやすいように、努力をしているわけですね。

 

分かる人にだけ、分かってもらえたらいいや。

 

これはただの『放出』であって、自己満足でしかなく。

 

 

 

それで伝わったり相手が感動するのは、本当に天才的な芸術家さんくらいで、多くの場合は凡人なわけですから、自分の思ったものは大して伝わりません。

 

 

伝えるのであれば、それなりに努力をしないといけない。

 

 

努力したうえで、それを受容するのは相手の作業ですから、信じるしかない。

手に取った状況で味わい方は変わるわけですから、今理解できることと、また違うときに理解できるのとは別の場合もあるし、同じ事柄でもそのときの環境や成熟段階でまた変わっていきますね。

 

 

 

 

私は頭が硬いところがあり、凝り固まった価値観で『点』しか見つめられないので、話の大意を理解できず苦しんでしまうことが多いです。

 

相手の放った一言に固執してしまい、それを自分のフィルターのみで捉えてしまうので、その本質が見抜けない。

 

そして、一人で悩みに悩んで、潰れてしまう。

 

 

 

 

そんなことを幾度も経験するのですが、なかなか進歩できません(^^;

 

 

なんなら、相手は私の分かりやすいように伝えてくれていたりもするのですが、どうしてもその言葉に固執してしまって、その他の助けとなる情報が読み解けません。

あとから考えたら、そういえばヒントをたくさんくれてたやんって思うのですが、その時はなかなか理解ができないんですよね。

 

 

 

もっと広い目線で物事を捉えて、本質の部分を受け取れるようになりたいです。

自分の固執している所を捨てていきたい。

 

そんな風に思うのでした。

 

 

 

 

また、発信する時も出来るだけ邪を放たず、明るいものを出していきたいですね。

どうしても『偽善』だとか『カラ元気』だとか、そういう風に受け取ってしまうひねくれ者なので、物事を発信する時も出来るだけ本音だったり、見て見ぬ振りをしたい部分を隠さずお伝えしてきたわけですが、それが必ずしも正解ではないなという風に思いました。

 

例えば、最近自粛の影響でYouTubeを見ることが増えたのですが、YOUTUBERさんでも、ぶっちゃけトークみたいなものをする方もいらっしゃいます。

 

元接客業の方が、困った同僚や顧客のことを語ったりとか。

 

再生回数はもちろん伸びるでしょうし、そのあけすけとした感じが人々の共感を呼んだり、面白いと思われたりするのでしょうが、私はあまりそういうのは好きではなくて。

 

 

なんかちょっと、残念だなあと思います。

 

 

 

別に良いものばかりを発信しなくても良いけれど、逆にイメージが悪くなったり不快になる要素があるものをあえて発信する意味、将来的にみてそれは良いのかな?なんて思うのですよ。

 

 

鬱っぽかったり

ぐちゃぐちゃしていたり

思い悩んだり

汚い部分があったり

ネガティブだったり。

 

そういう文学、芸術作品や表現も、昔から広く愛されてきたものだと思います。

 

でもなあ、、、、

 

 

表現の仕方があるんだよなあ。

 

 

自分はできるだけ、人を不快にしないようなものを嘘なく出していきたい、そしてそこには希望を残したいなあなんて、ここ最近は思うようになりました。

 

 

 

 

コロナの自粛生活を経ての、変化かな^_^

 

 

 

 

 

写真はチキン南蛮弁当シリーズ、オフトンのそばの電通ビル前でお弁当を販売している、春夏秋冬屋さんのチキン南蛮弁当(450円)です。

 

チキン南蛮のほかに、おかずが結構充実していて、しかもそれも美味しい。

春雨の味付けがよく、チキン南蛮弁当以外のお弁当も食べてみたいなと思わせる、素敵な内容です。

チキン南蛮はやや薄味でちょうどよく、最後まで飽きずにいただくことができます。

ご飯のボリュームもちょうど良いので、私的にはかなり高得点です。

 

オフトンで施術を受けた帰りにでも是非試してみてください♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東門 沙希依