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ひとり言と信仰の話

こんにちは。

 

 

 

 

 

雨空の福岡です。

空気が乾燥しているので、雨が体に優しい潤いを恵んでくれます。

 

 

 

今月は急なご予約の変更などが重なり、なんとなく時間を持て余してしまっています。

 

 

 

自身で開院してからというもの、ありがたいことに顧客に恵まれ、ほとんど休みなく走り続けさせていただきました。

 

自分なりに精一杯の努力もしましたが、それ以上に皆さまの応援のおかげで、正直自分の力以上の成果をいただいてきたと思います。

 

そんな日々の中で、どんどん創りあげられていった私の『治療家としての姿と、皆さまからの期待』と、『本当の私自身、そして私の気持ち』にだんだんと歪みが生まれていきました。

 

 

 

求められているのは私自身ではないという気持ちになってしまい、数年前、自分で築き上げた自分像から私は逃げてしまいした。

 

 

 

 

 

 

半年ほど地球の裏側で過ごし、元の場所に戻ってきた時には、私自身で過去の自分を否定し、勢いがつきすぎた火を消してしまったのでした。

 

火加減を調節するような器用さや勇気は持っていなくて、全部を壊すやり方しかできなかったのです。

 

 

壊すこと、終わらせることは、続けることよりだいぶ簡単だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

顧客が求めていたものがそこになかったら、もちろんお金は発生しません。

 

だんだんと離れていく方と、それでも来てくださる方とに分かれていきました。

 

 

 

 

その頃は今よりももっと視野が狭く未熟だったので(もちろん今も未熟なのには変わりないのですが)、『なんとかなる、自分はできる!』と四苦八苦していたわけです。

 

私の場合は母の施設への支払いや借入金の返済などがあったので、母の生活費だけで月に20万以上かかります。

自分自身の、銀行からの借入や奨学金の返済、普通にローンなどもあるので、月に必ず出て行くものが多いのです。

 

 

 

 

それでも一応自分の働ける時間をマックスにご予約で埋めて働けば、ギリギリ生活はできたのでした。

 

でも接客業ですから、毎月ご予約がマックスまで入る日々が永遠に続くわけがないのです。

 

 

 

 

そのプレッシャーに常に押し潰されそうになりながら、働けども働けども蓄えになるでもなく、『自分自身』と『時間』とを消耗していきました。

 

 

 

 

朝から晩まで働き続けることができるのは、正直若いうちだけです。

体は老いていきますから、確実に無理が効かなくなります。

 

自分自身でも限界が見えていたけれど、やらないわけにはいかなかった。

自分はできると信じていたからです。

 

 

 

 

実際、家族や行政や福祉などに助けを求めましたが、得られたものはありませんでした。

 

だから、意地でやるしかなかったのです。

 

 

 

 

 

でも、そんなことがずっとできるわけがありません。

 

患者さんだって、永遠に来てくださるわけじゃない。

私は特に妊活がメインの患者層だったので、つまり妊娠出産をされたら皆さん来院の頻度は減っていきます。

ご主人の転勤で福岡から離れる方も大変多いです。

 

ご紹介だけで運営してきたので、特に広告も打っていないですし、鍼灸院の営業というのは皆さんが思っておられるより随分難しいのです。

なぜなら、飛び込みの患者さんというのがほとんどないからです。

私だって、飛び込みで鍼灸を受けに行こうなんて思いません。

(むしろ、絶対ご紹介じゃないと行かないですね。)

 

 

 

 

だからって、過去の自分にすがるのも嫌でした。

 

 

 

もうどうしていいか分からないよ、自分だと限界、無理、誰か助けて!

 

と思ったところに一筋の光が見えて、その光とは紗里さんからの合併のお誘いだったわけですが、ありがたくお話を受けさせていただきました。

 

 

 

おかげさまで、一年前とは随分違った心待ちでいます。

 

 

 

 

 

当時は自分がやらねばと必死だったので、心に余裕がなく、先のところまで見渡すこともできませんでした。

今それができているかといったら、できているわけではないのですが、以前よりも人に任せたり信じたりすることができるようになりました。

 

 

 

常に余裕が無かったので、態度も冷たかったりピリピリしていることも多かったと思います。

それは井手先生が一番被害を受けていたのでよく知っていると思います^_^;

 

それを改める余裕も、謝る強さも持っていなかった。

ただ、誇りと意地で生きていて、優しさや柔和さは無かったですね。

 

 

 

 

ご来院も今の倍くらいあったので、キャンセル待ちなんかも多くて、当日の予約ギリギリにキャンセルになったら『◯◯さんの予約が取れたのに!キー!!!!』となっていました。

 

もちろん直前のキャンセルは今でも困るのですが、今はそんなこともあるよねくらいしかも思わないし、別の日にまた来てくれるからいいか〜くらいの感覚です。

 

まあ、それが経営的に良いか悪いかはわかりませんが笑

 

 

 

 

 

 

 

なので、私の場合はですけど自分の意地を棄てて、弱さを認めた時にようやく光が差してきたんですよね。

 

 

 

また、昨年の10月にご縁で今の信仰に入信しました。

 

 

鍼灸師ができることなんて、本当にないのです。

私たちの力で誰かを治すなんてことはできません。

 

全ては、その方の生命の力。その力を発揮しやすい環境作りをお手伝いするだけです。

 

 

 

身体の問題とは別に、因縁だったり別のものの問題をお抱えの場合もあるわけです。

それを私たちが抱え込んで解決するなんて、無理なわけで。

 

それでも、抱えてしまったり置いて行かれたりするから、やはり治療に携わる方は信仰を持って、そちらにお任せする方が多いです。

過去の自分がそうだったように、自分で頑張ってやっている人もいますけど、ただの人間の無力な自分に何ができるでしょうか。それこそ慢心でしょう。

 

いつか心身が壊れて、リタイアすることになってしまいます。

 

 

 

 

私の場合は同じ鍼灸師の先生から以前からご縁を繋いでいただいていたので、そちらにお世話になることになったのですが、やはり信仰があるととても心が楽になります。

 

私みたいに神様にお預けしないといけない案件がある場合は、特定の宗教に入信した方がいいとは思いますが、例えば気学のような思想を軸にもったり、自分の尊敬する人に教えを乞うたりでも充分だと思います。

 

 

とにかく、自分の心をお預けできるものがあれば軸ができるので余裕が生まれますね。

 

 

 

私の場合は、いかに自分自身が思い上がっていたかを思い知らされ、常に反省の日々です。

自分ではそうは思っていなかったですが、人に対して尊大な態度だったり、上から見たような見方しかできなかったりと本当にお恥ずかしい限りです。

 

今それが改められているかといえば、まだまだ足りないと思うし、今見えていないものもたくさんあると思います。

それは一生続くと思うのですが。常に反省して改めねばなりません。

 

 

 

いろんな思想があるので、別の宗教をバッシングするような方もおられますが、私は信仰があれば、ないよりは随分いいと思っています。

信仰を人に強制することが最大の誤りであって、たとえ親子でもそれは絶対にやったらいけないことだから、そこさえ踏み誤らなければ、ご自身の好きなものを信仰したらいいじゃないと思います。

 

 

 

私は神道なので、お家に神様をお迎えしていますから朝晩お礼拝をします。

月に一度、月並祭をやりますし、最近は浄衣を着て祭員もやらせてもらっていたり、祭典の際にお琴を弾くので、お琴まで習っています。

 

 

でも、別にお寺に行かないわけではないし、例えば享佑先生が易の講座で仏教や儒教のお話をされたりしますけど、そういう教えにも『間違っているじゃないか!』なんて思いません。へー!すごいなー!と納得します。

 

 

 

なんの話かわからなくなってきたけど、とにかく、自分の意地を棄てて弱さを認めて、信仰という縦軸を綺麗にとったら自分自身はとても良くなりました、というお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

写真は、先日紗里先生がお誕生日だったので、井手先生と私からプレゼントさせてもらったお花です。

お祝いに、享佑先生が私たちも一緒に火鍋をごちそうしてくださいました。

 

おめでとうございます&ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

では!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東門 沙希依